名古曽蛭子神社の由緒

 御祭神 主祭神
  事代主命(ことしろぬしのみこと)
  誉田別命(ほんだわけのみこと)
  市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 当神社は、約300年程前に創建されたと伝えられ当時紀ノ川は神社の西側の方角に藪の下を通って滝の井戸の方向に流れていました。ある年の大洪水に遭い、祠が流されてしましました。
その後西宮神社の蛭子さまを勧請し祀られましたが、当時は神仏混淆の時代で神社西北隅に西光寺(後に典通時に移される)があり、仏師彫刻の蛭子さまの御神像を御神体として祀ったとも言われ御神像には、梵字が彫られているという言い伝えがあります。
 現在の社殿は明治元年(1868年)に造営され紀北地方の「十日えびす」発祥のお宮として崇敬されています。
境内にある御神木の「蛭子三郎松」の樹齢は300有余年にも及び、格別の信仰の対象として大切にされています。
 毎年一月九日(宵戎)、一月十日(本戎)、一月十一日(残り戎)の三日間行われる「例大祭」は「名古曽えびす」として県内外にも有名で大勢の参拝者で賑わい無病息災・家内安全・商売繁盛・開運の願い事を叶えてくれる「福の神」として多くの方々に親しまれています。